タイトルを変えてまだ続かせることにする。
文体や分量が日によって異常に変わるので
読んでいる人は気をつけて下さい。
それだけ、引退と言う衝撃的なニュースで私が
動揺しているからです。
中田が無愛想になったのは
「君が代は戦意をかきたてない」という発言で
右翼から攻撃を受けたからだ。
オフレコの約束でした発言であり、
右翼から実家に脅迫状が届いて大変な騒ぎに
なったことは皆さんもご存知の筈だ。
マスコミのあたかも先生にチクルかのような
自分で責任を持って発言せず他人に言わせて
自らは責任を持たない汚いやり口には腹が
立つが、送った右翼も自分の汚さ卑怯さを
かみ締めるべきだと思う。
何よりも、中田の年老いた母親が一人で住む
実家に送りつける汚さ。およそ大和魂も何も
感じられない。本人にやるならまだしも(私は
本人にやるのも汚いと思うが)女のそれも
年老いた無関係な老婆をよく脅す真似が出来るものだ。
屑としか言いようがない。
結果、彼は日本から出ざるを得なくなり、
引退について母親に相談も出来なかった。
マスコミがとりついているから知らせないのが
一番迷惑がかからないと中田自身が考えたのだろう。
この右翼のやり方が汚いのはもちろんだが、
君が代を侮辱したからやったというなら
歴代の天皇貴族にも同じような攻撃を
しなければいけない。
万葉集・古今和歌集の時代からこのような歌の
批評は昔から行われてきた。昔の天皇や貴族が
歌った歌を評論し「風情・心がない」「もののあわれがない」
「風情はあるが、元気がない」
「シンプルすぎる」「複雑すぎる」←どうすりゃええんだ?
などとぼろ糞に批判評論しあっていたものだ。
身分が低いものによる高いものへの批判も無いではない。
100年前の歌がどうこうだとも批判しているわけだ。
有名古典と思われる芸術作品でもだれかしら批判
している(むしろ有名程多い)。貴族同士でだ。
清少納言対紫式部なんかすさまじい。
だからこそ、「私が」「俺が」ともっと良い作品をだそうと
競争が続いたのだ。
となると、当然100年ちょっと前の歌の君が代は
批判されて来たのはむしろ喜ぶべきことともいえる。
まして、教養のある共通基盤がある皇族貴族同士ですら
お互いの作品の批判をしたりされたりするのが
当たり前なのだから、その基盤がない人間から
もっと無茶苦茶な批評が出てもおかしくない。
しかも、その批判はその作品(この場合は歌詞)が
有名になり業界なり社会に定着しないと出てこない。
基本的に庶民はお上の決まりには興味はない。
まして庶民にとって現代の歌では身の回りの歌しか興味がない。
つまり、こうやって君が代が批判されてきたのは、
歌が社会に定着しつつある過程であると言える。
もちろん、定着すればするほど批判される可能性は高い。
現代で言えば、長渕や小室哲也や浜崎あゆみ吉田拓郎
矢沢栄吉がパクリだなんだとマスコミや掲示板上で
叩かれまくるのと同じだ。
そして、彼らの作る歌のレベルが低い訳から叩かれるの
ではない。むしろ、レベルが高く知名度もありみんなが知って
いるからこそ叩かれるのだ。
少し飛ぶが、今回の主題は
表面の行動・言動で判断するバカは死んでしまえ。
ということだ。
匿名で言いからヒデの母親に謝罪メールだせよ。
と追加して言っても良い。
なぜ、俺がこのような主題を立てたのか?
それは次のブログで。